医師(歴史編)

医師は、医療および保健指導を司る医療従事者である。医学に基づく傷病の予防、診療および公衆衛生の普及を責務とします。

歴史


医師と患者が描かれた古代ギリシアの壺(紀元前480~470年頃のもの)


古代には病気というものに対して悪魔や神によるもの等と信じられていたため「医師」という職業は世界各地で現在でも宗教と密接に関わっているものが多かったです。

西洋において「医」の象徴とされているのはギリシア神話に登場するアスクレピオスです。アスクレピオスの杖はWHOを含めて世界各国で「医」の象徴として用いられている。

現在の西洋では、医師の社会的地位は比較的高いですが、古代においてはそうではありませんでした。 古代ギリシアにおいては、医師は自由市民であるとは限らず、奴隷である医師もいました。自由市民は自由市民の医師が診察し、奴隷は奴隷である医師が診察した。また古代ローマにおいても、市民権は与えられたといわれるものの、医師の地位は高くはありませんでした。これはローマにおいて往々に医師が被征服民のギリシア人が多く、更には奴隷階級とされた者も多かったためと考えられています。医師の社会的地位が高くなったのは中世のヨーロッパにおいてです。人の命に関わる重要な職業なので、専門職として特別な地位を与え、それに応じた責任が求められるようになりました。

西洋においては、内科が知識主義に基づいて伸長したのに対し、外科は経験主義を基礎に伸長しました。初期には床屋などから外科医となるものが多かったようです。

『七十一番職人歌合』三十四番に描かれた室町時代の薬師(くすし)

東洋において「医」の象徴とされているのは一般に薬師如来が知られているように、日本においては「薬師(くすし)」と呼ばれた和漢薬の専門家が医師の起源となります。当時の薬学である本草学に基づき生薬を用いて診療を行っていました。日本の漢方医学は中国の漢方医学とは16世紀頃分かれて独自の道を歩いています。律令制においては、典薬寮の下に官職としての「医師」が置かれた他、大宰府や令制国にも医師が派遣されていました。

江戸時代においては士農工商の工に当たるとされましたが、御典医などは士分に準ずる扱いを受けることもありました。明治時代、西洋医学を日本に導入するため西洋から医者を招きました。また「医師」という呼称が用いられるようになったのは明治時代に入ってからです。それ以前は「医者」と呼んでいました。

日本では明治維新後の1874年、医師を免許制とする制度が導入され、1876年には新たに免許を受けようとするものは洋方六科試験合格が必要となることが内務省から通達され、漢方医を志す医師であっても西洋医学を学ぶことが必須とされるようになりましたが[2]、中国や韓国ではそれぞれ中医師、韓医師という医師とは別の資格が並立しています。


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